野澤先生との出会いは?
米沢での検査会は、もともと小関さんや奥さんのウメチギリさん、農家の千葉陽平くんが主催して、何回かやるうちスタジオ八百萬を使っていただくようになったんですよね。
山田さん
小関さん
そうですね。
最初は千葉くんから検査会をやりたいということで相談されたんです。
最初は千葉くんから検査会をやりたいということで相談されたんです。
野澤先生との出会いはどういうきっかけだったんですか?
山田さん
小関さん
確か2000年頃だったと思います。
20年ぐらい前ですか。
山田さん
小関さん
新潟に野澤さんという目の専門家が存在することは知っていました。
お会いしたいと思っていたのですが、その矢先に野澤さんから連絡がありました。
ちょうどその頃は、僕もバランスボードを作って乗り方を教えたりして、バランスのことを始めて間もない頃でした。
野澤さんも今の視覚検査を始められた頃だったと思います。
お会いしたいと思っていたのですが、その矢先に野澤さんから連絡がありました。
ちょうどその頃は、僕もバランスボードを作って乗り方を教えたりして、バランスのことを始めて間もない頃でした。
野澤さんも今の視覚検査を始められた頃だったと思います。
お二人とも今の仕事をはじめられた黎明期に出会ったんですね。
山田さん
小関さん
野澤さんと会って、その頃から交流があった、ライフル射撃競技の当時オリンピック代表チーム監督、藤井優さんともお引き合わせしました。
それから目のことも教えてもらって、僕の講座でも目とバランスの関係を伝えるようにもなりましたし、一緒に講座を開催したり、体のことを学んだりと親交が深くなりました。
それから目のことも教えてもらって、僕の講座でも目とバランスの関係を伝えるようにもなりましたし、一緒に講座を開催したり、体のことを学んだりと親交が深くなりました。
野澤先生のメガネを作ったきっかけは?
野澤先生のメガネを作ったのは、どういう理由からですか?
山田さん
小関さん
視力が落ちてきたので、単純にメガネが必要になったからですね。
野澤さんのメガネをちょっと作ってみたかったのもあって。
最初は度数もそれ程ではなかったので、ほとんど使っていなかったですね。
でも、40歳過ぎたあたりからメガネを掛けていることで疲れにくくなりました。
野澤さんのメガネをちょっと作ってみたかったのもあって。
最初は度数もそれ程ではなかったので、ほとんど使っていなかったですね。
でも、40歳過ぎたあたりからメガネを掛けていることで疲れにくくなりました。
使い始めてどれくらいになりますか?
山田さん
小関さん
最初は7年ぐらい前ですね。
夜の運転、映画を観る時、子供たちの発表会とか、時と場合によって使っていました。
5年ぐらい前に今のメガネになって、それから結構使うようになりました。
夜の運転、映画を観る時、子供たちの発表会とか、時と場合によって使っていました。
5年ぐらい前に今のメガネになって、それから結構使うようになりました。
最初のメガネと今のメガネで違いはあるんですか?
山田さん
小関さん
最初のメガネも野澤さんなので、基本変わりません。
違いといえば度数とフレームでしょうか。
違いといえば度数とフレームでしょうか。
度数が進んできたから新しくしたっていう感じですかね。
山田さん
小関さん
そうですね。
野澤さんなりの微調整はあったかと思いますが。
野澤さんなりの微調整はあったかと思いますが。
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