卓球女子日本ナショナルチームの指導でも役に立ちました
新潟/竹内 聡さんにお話を伺いました。
聞き手:スタジオ八百萬/山田 茂義
お仕事について
竹内さん、初めまして。今日はよろしくお願いします。
まず最初にお仕事から教えてください
まず最初にお仕事から教えてください
山田さん
竹内さん
高校の保健体育の教員をしています。
卓球部の監督をされているそうですね。
山田さん
竹内さん
そうですね。
2002年から2005年まで卓球女子日本ナショナルチームのトレーニングコーチをやっていまして、新潟県高体連主催の講習で、講演内容が視覚関することでとても興味があり参加しました。野澤先生とはその講演会がきっかけで知り合いになりました。
2002年から2005年まで卓球女子日本ナショナルチームのトレーニングコーチをやっていまして、新潟県高体連主催の講習で、講演内容が視覚関することでとても興味があり参加しました。野澤先生とはその講演会がきっかけで知り合いになりました。
野澤先生が講演をされていたんですね。
山田さん
竹内さん
卓球という競技は、視覚に頼ることが多く、色んなことを学習したいと思い、講習会に参加しました。講習会に参加した頃に私がナショナルチームのコーチを引き受けた頃でした。
その時に担当した選手がロンドンオリンピック・リオオリンピックのメダリストの福原愛選手です。
日本のトップ選手達の目の様子も知りたくて、野澤先生に検査してもらったり、アドバイスしてもらったりということがありました。
その時に担当した選手がロンドンオリンピック・リオオリンピックのメダリストの福原愛選手です。
日本のトップ選手達の目の様子も知りたくて、野澤先生に検査してもらったり、アドバイスしてもらったりということがありました。
そうすると20年近いお付き合いで、一緒に仕事をされる場面もあったんですね。
山田さん
竹内さん
そうですね。
野澤先生のメガネを作ったきっかけは?
竹内さんご自身がメガネを作られたのは何がきっかけでしたか?
山田さん
竹内さん
目も色んな要素があり、乱視もあって左右の違いもあって、何かうまく捉えられるような状況にならなくて、野澤先生に相談して作ってもらったら非常にフィットしました。
うまくフィットするメガネが出来たんですね。
山田さん
竹内さん
それまでは目を測定して自分に合ったメガネを作ってもらえるところがなかったので、左右どちらかに合わせると中途半端になってしまっていました。
Page.1